日本人の死生観

日本が「国家神道の闇」から抜け出せた3つの理由

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明治維新によって幕藩体制が終わり、天皇を中心とする国家の建設が進みます。天皇の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮を他の神道と区別し、国家神道と位置づけることもその一環でした。当時の天皇は統治権をもつ唯一絶対の元首とされ、政治と神道が密接な関係にありました。国家神道に基づく教育も行われます。ところが第二次世界大戦終了後、アメリカの占領政策によって国家神道は解体されてしまします。ではなぜ国家神道は解体され、その強制から解放されたのか理由を考えてみましょう。

政教分離が神道指令に規定される

連合国軍総司令部(GHQ)は国家神道による思想や教育が、日本を戦争へと向かわせた原因だとの考えがありました。ですから、戦後に国家神道をどのように扱うべきか議論がなされたのです。当初は神社に関する行事をすべてを廃止する意見が根強くありました。それに対して日本の有識者はハーグ条約に照らし、こうした行為は逸脱だと反論しています。実際にハーグ条約では敵国領土における軍の権力について、信仰について尊重するよう定めているのです。

日本の国民感情に配慮してか、神社の実態を知るためGHQは日本の神社を視察しています。その際民間の行事を目の当たりにし、神社が全体主義的な考え方とは関連しないことを理解し、すべての行事を廃止する考えは改めました。政治を宗教と分けることが最も重要と考えたのです。神道指令の中には、宗教関連行事において軍国主義や国家主義の考えを広めてはいけないと規定されました。つまり政教分離は国家神道から脱却できた、要因のひとつです。

政教分離によって信教の自由が保障される

天皇を中心とする国家と宗教の分離は、国民から見ると誰がどのような信仰を持とうと許される信教の自由にも繋がります。国家神道解体の直接の原因となる神道指令には、神道における教えや習慣あるいは祭りといった行事のみならず、他の宗派についても軍国主義や極端な国家主義に基づいた考えを広めてはいけないと禁止しています。この条項はとりもなおさず、個人の信教の自由を規定したといって良いでしょう。さらには国家が定めた宗教や祭りを、直接にも間接にも信仰させられることがないとも定めます。

国家神道の目的は天皇を中心とする政体であり、思想も教育も天皇制に基づいて国民に半ば強制され、これらに反する意見は戦争へと進む中で厳しく統制されました。したがって信教の自由は、戦時に国民の引き締めとして利用された天皇の存在つまり国家神道から解放した要因のひとつといえるのです。アメリカもまた国を樹立する上で宗教対立に悩まされた過去があり、信教の自由の重要性を身にしみて知っていたのでしょう。

天皇自らの宣言により、国家神道が終わりを迎える

天皇自らの宣言により、国家神道が終わりを迎える

神道指令は占領軍であるGHQ主導による国家神道解体の定めですが、昭和天皇自身もいわゆる人間宣言と呼ばれる詔書で自らの考えを述べられました。これによると、天皇を現御神とするのは、架空の概念だということを広く伝えたのです。ちなみに現御神(アキツミカミ)というのは、現に姿を現している神のことを意味します。戦争が終わるまで天皇は国民にとって特別な存在でしたから、さまざまな感情が起こったことでしょう。いずれにせよ、国家神道という考え方は海外からも国内からも否定されたわけです。

ただし人間宣言で特に仰っしゃりたかった趣旨は、天皇の系譜が神話につながることの否定ではなく、国民とともにあることの宣言と、神話と伝説に基づく存在ではないことでした。要するに国家神道の否定が、ただちに天皇の否定を意味しないということでしょう。特別ではない存在として、国民とともに戦後の苦難に挑む覚悟により、戦前の政治や行政の場で用いられた国家神道と決別したのです。

第二次世界大戦の敗戦が国家神道解体へと導く

国家神道は天皇を神格化し、絶対的な統帥権を持つ存在として国民に強制しました。つまり国家として方針を決める際は、すべて天皇の名のもとに行われたのです。当然戦争もそうでした。このような経緯ですから、戦争において天皇に責任が有るか否か激しい対立があったのも事実です。戦後さまざまな資料から、天皇が戦争開始について反対していた事実も出てきています。国家をまとめ国民の意識を統一する際には、大義名分が必要だったのでしょう。それが天皇であり国家神道だったのです。

裏を返せば、戦う必要がないとき大義名分は重要性を失います。日本において戦う必要がなくなった瞬間とは、まさに敗戦でした。敗戦によって国家神道の強制に対する国民の不満が、一気に解放されたといっても良いでしょう。神道指令により実質的にも解体され、国民は敗戦からの復興という苦難の道と引き換えに、思想や教育に関する国家の強制から自由になったのです。

まとめ

思想や言論あるいは表現の自由が当然な現代において、国家の都合の良いように考えを強制される世の中が戦前まではありました。その象徴的存在が国家神道で、戦争を行う際の大義名分に利用され、GHQには諸悪の根源であるかのようにみなされます。その結果、二度と戦争へ向かわないよう政教分離を推し進め、国民の信仰の自由を保障しました。国家神道はついに解体に至ったのです。ただし、戦後民間に伝わる神社の祭儀は、国家神道とは全く異なることを示すことで、神道そのものが原因でないことを理解させ完全は廃止は免れました。民間の力が神道の理解を助けたのは、皮肉なものです。

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