日本人の死生観

人はなぜ神に頼るのか。縁結び・交通安全・合格祈願・商売繁盛を神任せにするようになった起源

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どうしても叶えたい願いや幸せになりたい場合、神社に行って神様にお願いする事を「神頼み」と言います。その願いは縁結びや交通安全、合格祈願に商売繁盛が定番ですが、人間が神様に頼るようになった起源はとても単純、かつ動物的です。一言でまとめてしまうと「生きるため」ですが、それだけではないのが神頼みとも言えます。こんな時代だからこそ、単なるお願い事ではなく深い祈りを込めるためにもその起源と正しい頼み方を紹介していくつもりです。

当たり前の思いと感謝が神頼みの始まり

縁結びや交通安全、合格祈願に商売繁盛など現代では当たり前の願い事は「祈願祈念」と呼ばれており、参拝をはじめ、神楽や絵馬、縁日など神頼みの儀礼は多種多様です。これらは簡略化された儀礼で、伝統に則るなら、神職が祝詞を奉納したり神楽を舞ったりなど複雑化していきます。つまり現代人が親しんでいる神頼みは民間信仰寄りというわけです。

しかし、庶民から端を発した願い事や祈りこそが神頼みの起源に繋がっています。日本特有の宗教、神道は全ての万物に神様が宿っており、仲良くしていけば暮らしは豊かになるという考え方がモットーです。神様の正体や死後の魂の行方は曖昧であるものの、日輪信仰や祖霊信仰など古来の信仰を踏まえるとそこには自分を生かしてくれている全てのものへの感謝の思いが込められています。亡くなった命への弔いの念を通じさせるための祈りもありますが、神頼みは本来、神様の手助けを求める意味合いが正しいので日頃の感謝を告げるのが正しいやり方です。

縁結びは勘違いされやすい

どうしても叶えたい願い事があれば、神様に頼りたくなる気持ちは誰にだってあります。けれど衝動的に神社に赴き、「お願いします」と祈るのは間違いです。単純に祈るのではなく、考えをまとめてから神様に告げるのが日頃から見守ってくれている神様への礼儀と言えます。

実際に定番の願い事である縁結びは良縁祈願と混合されがちです。縁結びは恋愛だけでなく、仕事やお金の縁に恵まれ、なおかつ今ある縁との結びつきが切れないようにする願い事となっています。反対に良縁祈願は恋愛に特化しており、恋人や伴侶がいない人向けです。そのため既に相手がいるのに良縁祈願をしたら逆効果になってしまう恐れがあります。それから最近ありがちですが、架空の存在や理想の相手との出会いや関係の進展もタブーです。あくまでも縁結びは実在している人間関係にしか効果は発揮できず、架空の存在や理想の相手は論外となります。基本中の基本ですが、意外と知られていないです。

願い事の起源は神様への誓い

縁結びのように他の定番の願い事にも事情や歴史があり、そこには願い事の起源が隠れています。

例えば交通安全は東京都国立市にある谷保天満宮が由来です。1905年、外遊からお帰りになられた有栖川宮威仁親王は持ち帰られた「ダラック号」の修理を東京自動車製作所に依頼し、同時に日本製の自動車の提案を吉田真太郎に持ちかけました。それから3年後の1908年、有栖川宮威仁親王はダラック号に乗車し、日比谷公園から野暮天満宮までをドライブします。そのドライブには吉田真太郎が手掛けた国産の車も走り、一行は無事に到着した谷保天満宮の境内で昼食会を開いて楽しんだそうです。その後、帰りのドライブの無事を祈願した事から谷保天満宮は交通安全の元祖の神社となりました。

現代では馬と所縁がある神社が移動手段という繋がりで「交通安全の効果もある」と触れ込んでいるものの、本来の意味はこのように深い歴史が隠されています。つまるところ縁結びや交通安全、合格祈願に商売繁盛は全て招福の言葉です。言葉は大切で、特に頼る言い方ではなく、宣言するような言い方を神様は好みます。その理由は単純で、自分もまた励むという意志表示だからです。

神頼みの正しいやり方とは

二礼拍手一礼は参拝の基本ですが、神頼みの基本はこれだけでは足りないです。まず聞き届けてほしい願い事は1つだけで、断言する物言いでなくてはなりません。「自分はこれから願いを叶えるために頑張るので、どうか手助けしてほしい」というスタイルが正しい神頼みです。そのため見返りを求めてはならず、たとえ叶わなくても「仕方がない」と割り切らなくては無礼になってしまいます。

何よりも大切なポイントは日頃の感謝を伝える事です。平和に暮らせている事を神頼みの際に打ち明けるのはこれからしてもらう手助けの挨拶であり、本来の祈り方でもあります。それから神頼みをする神社も1つだけに絞り、あちこちの神様に頼むような事はしてはいけないです。浮気が嫌いな神様はたくさんいますし、既に注文した仕事を他の業者にも注文するような真似は混乱を招き、嫌な結果しかもたらしません。なので神頼みをしたら、吉報を待つのみです。

まとめ

当たり前にやっている神頼みは本来、自然への畏敬と感謝を込めた儀礼です。しかし時代とともに簡略化された影響で、縁結びなど定番の願い事の意味合いや歴史を知らず、単純なお願いとして神社に赴く人は少なくないです。正しい神頼みはあくまで自分が励むという意志表示をし、なおかつ日頃の感謝を伝える必要があります。また複数の神様に頼らず、1つの神社で参拝するのがマナーです。あとは自分の力を信じ、吉報を信じて待つのみとなります。

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