日本人の死生観

神道における死後の世界。仏教やキリスト教とは違う、人の魂が行く着く先とは

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人間が死んだら天国や地獄へ行くという様な話を、誰でも1度は聞く事はある物です。ですが、実は宗教によって死後の世界は結構違っていたりします。例えば日本人に馴染み深い宗教と言えば、神道と仏教ですが、この2つでも死後の世界は全く違います。更にはキリスト教の方も入れるなら考え方が相当に違っている所があり、文化史的な面で改めて考えてみると成立した文化圏や当時の人達の思想等が垣間見えて、色々と興味深い所が多い物です。そこで今回、神道を中心に仏教やキリスト教等の死後の世界について順に概要を述べていく事とします。

神道の死後の世界とその概要について

神道は日本で成立した宗教であり、神社等が代表的な信仰施設になります。成立は縄文時代で、「全ての物に神様が宿る」という事で精霊信仰の様な考え方を取る宗教と考えて下さい。それが飛鳥時代に日本に仏教が入ってくると、その影響を受け仏教でいう所の僧侶に当たる神主等の役割が誕生する事となりました。(※祝詞等を何かの儀式で神主があげている光景を見たことがある人も多いと思われますが、その辺りの行為が仏教からの影響と考えて下さい。)

そんな神道の死後の世界ですが、人は死ぬと仏教でいう所の位牌に当たる霊璽(れいじ)に分霊されて家の守り神になり、本体の方は黄泉国・常闇の国・根の国といった別の世界に生まれ変わるという考え方を取ります。神道では肉体は魂の入れ物であって、肉体な死は穢れや災いの象徴という様に捉える考えもあり、神道で言う所の葬儀とはそういう穢れの類を神様の神聖な力を持って綺麗にする行為を示すという事も押えておきたいポイントです。

仏教の死後の世界とその概要について

仏教は紀元前5世紀の頃に、インドでお釈迦様によって創始された宗教であり、アジア圏に広がりながら日本に入って来たのは飛鳥時代と言われています。その死後の世界の最大の特徴は、輪廻転生と呼ばれる考え方を採用している事です。

「死後生まれ変わるのであれば、神道も同じ事を言っているのでは」と思うかもしれませんが、神道の死後の世界は「死の国」というニュアンスがあり、仏教でいう生まれ変わりは文字通りの別の生に生まれ変わる事だと考えて下さい。その具体的な内訳は天道と人間道に修羅道、畜生道と餓鬼道と地獄道で合計6つ程あると言われており、前者3つを三善趣として比較的良い生まれ変わりと定義しており、後者3つを悪い世界とし三悪趣と見る事もポイントです。ちなみに、この6つの最上位に位置するのが、極楽浄土という事で俗に言う天国の事だと思っておくと齟齬がありません。どこに生まれ変われるかは、本人が生前に積んだ善行に関係しているとされ、仮に悪い事をしていたとすれば、僧侶の追加供養によって改めて良い世界に生まれる事が出来る様になるというのもポイントです。

キリスト教における死後の世界とその概要について

キリスト教はイエスキリストが現在で言うパレスチナ周辺で開祖となった宗教であり、世界で最も信仰されている宗教と言われています。日本には教科書等で1度は顔を見た事がある人も多いと思われる、フランシスコザビエルにより持ち込まれましたが、江戸時代の檀家制度により一斉に弾圧されてしまい、日本では、所謂「キリシタン」と呼ばれる存在はほとんど姿を消す事になりました。(※例外として、天草の隠れキリシタンの信仰があり、これはオリジナルのローマカトリックとも違った形式になっています。)

そんなキリスト教の死後の世界観ですが、キリスト教では最後の審判の日(=天国行か地獄行かが神によって決められる)に死人は1度だけ蘇るとされています。この時、キリスト教を信じている人は天国へ行けて、そうでない者は地獄行の罰を受けると定義されます。つまり、死者はニュアンス的には、審判を受けるまでの仮の眠りについている様な物と考えると齟齬がありません。そういった信仰の事情もあって、火葬は現代でも忌避するキリスト教徒は少なくありませんが、国であったり宗派の違いによっては、許容しているケースも数多いです。

3宗教をそれぞれ比較して考えた時の魂の行く先とは

3宗教をそれぞれ比較して考えた時の魂の行く先とは

長い歴史の間に、あるいは国であったりその土地の風習等と結びつく等して、それぞれの宗教は色々な宗派が出ていたりもします。例えば仏教の場合でも真言宗もあれば、禅宗も存在していますし、キリスト教にしても原点となったユダヤ教であったり、後に成立したイスラム教やローマカトリックとロシア正教等でそれぞれ考え方は相当に違います。

死後の世界に関しても、古代の成立当初から現代に至るまでの間に、相応の変遷をしている事もポイントです。その意味で言うならば、現在は一定の形でまとまっていますが、これから世界の価値観の変化等の影響で思わぬ形に変わっていく事もあり得ないではありません。ただ、これからもどの時代や宗教においても、死者の死後の冥福が幸せであってほしいという点は共通するものとして残ると思われます。そういった点を勘案するのであれば、あるいは誰かの葬儀がある様な時には、故人に敬意を払うという意味でそれぞれの宗教の流儀を大事にするという事はとても大事な考え方になります。

まとめ

神道は「根の国や黄泉の国」等の、死者の世界で生まれ変わるという考え方で仏教は生前の行いに基づいて7つの世界のどこかに生まれ変わるという考え方になります。そして、キリスト教は最後の審判の時までの長い眠りについていて、その日が来たら再び生を受けるという事で考えておけば齟齬は無いです。それぞれ、地域や国によって独自色を持っている場合も多いですが、故人の冥福を祈るという点では共通ですので、葬儀の際等には故人への敬意の意味も含めて、信仰を大事にする考え方はとても重要になります。

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